最近、感じる中でなんと大人げない人が多いのだろうという事。
電車の中でも、高校生のように声を張り上げて自分たちの世界に入って周りを顧みない。
銀行で並んでいても、関係なくす~と前に出ていく。
もっと驚いたことは、先日、めったにないと思う事が起きた。
映画館で映写機が不具合を起こした。スタッフの方が15分くらいかかると説明している。
罵声に似た声が出てくる。
その声は、声の質として充分な大人だけだった。それも何人も!
高校生や、若い人達もいたのに。
15分が待てないのか、そんなに急いでいるとは思えない。
自分の思い通りにいかないから、スタッフの人たちを困らせてうっぷんを晴らしているとしか思えない。
多分、裏方では汗だくになって何とかしようと一生懸命のはず。
じゃ~待ってて見ようとは思わないのだろうか?
いい大人が・・・と悲しくなった。
自分は成熟した大人になろうと心した瞬間でしたよ!
宇宙も成熟に向かって要っている。
成熟の先は無である。人間でいうと死だろう。
生まれた瞬間から死に向かって生きている。そのプロセツによって私達の魂がどのように光るかが問題であり
名誉や地位、富裕層だから立派と言う事ではない。
大きく勘違いしているから、
心の中に自分がやってあげたから、今の世の中があると思い込んでいるのか、
現世で光り輝こうとしている。
本物は何もしなくても、そっとそこにいるだけで重厚なエネルギーを醸し出しているもの。
神様は上から魂の輝きを観ていてくださっている。
三次元の輝きが本物かどうかはばれています。
勿論、人間として立派な人もいらっしゃる。
そういう人はこれ以上ない。私達もこれを目指したい。
名もないご近所のおばさんだって人間的に立派な方もいる。むしろ、社会的に地位の高い人には非常に少ない。
余裕があるから、いい子ぶっている?欲望に目を血走らせている者が人間として立派でいられるはずがない。
一番、単純なことが一番大切ではないだろうか。
真実を伝えていくには限りなく困難な時代。
口ではなく、行動で愛を示していく事に他ない。
しかし、人間としての心が育ってないから、皆、ものさしが短い。
誤解や猜疑心の蔓延した時代に戸惑うばかり。