おはようございます。
ひとり一人の人生には
それぞれの人生経験があり、その経験をどう捉えるかによって
その人自身にまとわりつく事柄も変わってくる。
良くにせよ、
悪しきにせよ、
捉え方次第という事になるだろう
人生ってその人にとって必要な事柄が
そのタイミングで必要な事が行われているのだろう
自分の意志で行っているように見えても
実はすべて見透かされているのかも知れない。
それは魂の成長の為にある身体であり、人生であり
そう考えると、必要な事しか起こらないのか。
だとしたら、
その行われている現実に対して
どう向き合うかと言う自身の捉え方が作用してくる。
自由意志と言うものが我々人間には与えられているが、
その判断を間違えていくから
様々な心苦しい事がおこり、
悲しい事が起こり
怒りを伴う事が起こる。
カラダがないと
考える力がないと
魂の成長には程遠くなる。
大神様はそうやって分身の自分をみているのだろう・・・・
感情の鍛錬の為に思考がある
感情の克服のためにこの現実がある。
誰かをいじめる
誰かを悪く言う
誰かを嫌いになる、比較する
そういう事ではなく
全て自分自身の人生の為でもあると。
人間はとても感情に屈服しやすい
溺れやすい
自分自身を見ない
神様の計らいとして自然がある。
自分はどうしたいのか!!
この答えを自分で求めていくしかない
そして、
時代の変化はようしゃなくやってくる。
その為に動かされている。
地球上昇の為に動かされている。
ご褒美ももらった。
素直な自分
当たり前に喜びを感じる自分
神が意図するまで耐える自分
こうありたいな~
全てが自分自身の経験であり、その価値は自分自身しか分からなくてよい。
求めるものでもないのだろう・・・・・
ただひたすら、
言われるがままに
感じるがままに・・・・
自分を信じる。
ではまた
ありがとうございます。