おはようございます。
ブッタの教えの中に
「自分の存在とは、自分以外の無数の要素の集合体であって、自分と言う実体はない」
と考え、
生きている事、死ぬことも要素の組み換えに過ぎないという事なれば、
死の恐怖から逃れることも出来ると。
要するに自分と言う実体はないのだから
それらの構成要素だけであるという考え、その状況が「空」と言う概念。
「自灯明・法灯明」
ブッタの教えの中にある言葉
これは、
自分自身と教えだけをよりどころとして生きていきなさい
という事。
自分と向き合う事の大切さや、
その非常に難しい在り様を現代にはふさわしくは無いようではある。
それだけ難しい
自分と向き合う非常に難しい修行
なぜこの言葉が生まれて来たのか、
・この世のすべては思い通りにはならない・・一切皆苦
・すべてのものは変化して留まる事をしない・・諸行無常
・すべては他との関係性においてしか存在しない・・諸法無我
苦しみとは思い通りにはならないこと
ではどう生きたらいいのか・・・・・
これらをまとめ上げたのが、
「般若心経」
叡智の神髄をまとめ上げた真言のお経
自分自身の自由・不自由
または恐怖・不安
全てを受け入れ、
超越してあるがままを丸ごと受け入れる
空しさの中にさえ、豊かさが存在している心のよりどころを感じて観る。
人として
実態があるが
そこまでの神化を望む時代へと今、進んでいるの。
見えない世界は見えている世界より進んでいるのだ。
それを感じて、
自分自身を神化していく覚悟の時代。
細胞の塊として実態がある人間
それはまた、魂の望みを、成長を叶えるための実態
この世での苦しみ・悲しみ・恐怖・病気等々
それらは魂の学びでもあり、
もっといえば、
魂の成長の為の実態だから
自分は「アバター」
そう考えると
意識も「空」へと揺らいでそこに意識をとどめておく必要はなくなる。
ではまた
ありがとうございます。